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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2009年03月18日

作るのが好き

「中原農園」社長の中原重昭さん。
昭和26年生まれ。

小学校のときから
おばあちゃんがやっていた
野菜の引き売り(=リアカーを引いて売りに行く)
を手伝う。

中学を卒業後、
定時制高校に通いながら、昼間は家業の農業を手伝う。
その頃は地域の特産であるすいかとタバコ栽培を行っていた。
23歳で結婚。
地域の生産組合の青年部長を務めるなど、精力的に動く。

そんな中原さんに転機が訪れたのは、
パソコンでの経営指導の指南を受けたときだった。
これからは、すいかやたばこなどの単一栽培じゃなく、
たくさんの野菜を栽培して、自分で売っていくことが可能なんじゃないか。

平成3年。
野菜栽培の方法をいろいろと試していたときに
富山県の研究会に出席し、今の方法である
EMという微生物を応用した農法を知る。

3年にわたる試行錯誤の末、
平成6年に農法が完成。
素晴らしい野菜がとれるようになった。
スーパーやデパート、法人への営業を開始。

その当時話題になった
「波動測定」で中原さんのニンジンは
北海道の有機栽培の野菜を上回って、
高い数値が出て、一躍有名になっていく。

にんじんを強化していく中で、
規格外のニンジンが多く出て、
それをホテル新潟の小松原社長(当時)
に「もったいない」と言われ、ニンジンジュースが誕生。

平成12年には法人化し、有限会社中原農園になる。
今では従業員7名を率いる社長だ。

そんな中原さんにはひとつの夢がある。

「生活者の菜園」

地域の生活者たちが集い、畑作業を楽しみ、
ともに料理を作ったり、畑で自分のやりたいことを
実現していく、そんな菜園作り。

平成9年に訪れた
金沢市の「ぶどうの木」がまさにそうだった。

たくさんの人が集い、
シェフになりたい人がレストランを作り、
パティシエがやってきてお菓子屋さんを作った。

「ぶどうの木」には、人を惹きつける魅力がある。
それが野菜でもできるのではないか?

今年。
大きな転機が訪れようとしている。
畑の場所が一箇所にまとまった。
10年越しの願いである「生活者の菜園」の
構想がだんだんとできていく。

「こだわったものがこれなんだ」
と胸を張ってニンジンを出す中原さんがまぶしい。

「まるごと食べてもらいたい」
「採れたてのまま、生で調理をしないで、まずはかぶりついてほしい。」

そう。
中原さんの畑に行かなければ、
現場に出なければ、実感できないものがある。

「作るのが好きなんさ。」
とぽつりと言う中原さん。

子どもの授業参観を
「メロンの世話があるから」と言って、
行かなかったことが何度もあった。

「子どもの面倒は先生も母ちゃんも見れるけど、
メロンの面倒を見れるのは俺だけだ。」
と言った。

ゴールデンウィークも、お盆休みも、
畑の世話に一生懸命で、
子どもを遊びに連れて行っている余裕はなかった。

連休の最終日に、
オレも何か、友達に
「ここへ行ってきたんだ。」とお土産を配りたい、と言われ、
高速道路を飛ばして、柏崎までお土産を買うためだけに行ったこともある。

いちばんの思い出は、
夏の終わりに、みんなで登った角田山でのキャンプ。
子どもたちはなぜか餃子の食材を買い込み、
山頂で皮から餃子を作って食べたことだという。

いま。
中原さんの長男である重信さんは
中原農園の社員である。

中原さんは言う。
「おれはなかなか経営者にはなれない。
いつまでたっても百姓なんさ。」

ただ、野菜を作ることが好きなんだ。

なんて不器用な生き方なんだろうって思う。

でも。
そんな中原さんだからこそ。
人が集い、そこに集う人たちのつながりが
より強くなる。

帰りの車の中でトシと振り返り。
農家ファンクラブプロジェクト。
これができることをすごく幸せに思った。
トシと二人、泣きそうだった。

神様、ステキな仕事に出会わせてくれて、ありがとう。
またひとつ僕は、中原さんと自分の人生が好きになりました。

「好き」を求心力に、「想い」を遠心力に。

それが農家ファンクラブプロジェクトです。  


Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)農の未来