2009年12月17日

そんなひとりに私もなりたい

「すくーる・らくだ」を運営する、
平井雷太さんの有名な詩がある。
「新・教育者宣言」

人を教育によって変えられると思っている人は教育者ではない
この子には私が必要だと思い込ませて
その人から離れることができないように
あなたのおかげで今があると思い込ませて
人の心をからめとっていく人も教育者ではない

人から感謝され尊敬される人は教育者ではないのだ
教育者とは、いついかなる場所に立ったとしても
そこに育ちたいと思っている人がいたとき
その人が何々ができる、何々ができないと無関係に
その人が潜在的にしたいと思っていることを
スッと提案できる人なのだ

相手がその提案に乗らなくても何の不満も残らない
相手が提案にのって
何かができたとしても決して恩を売らない
たまたま、その人が勝手にその提案に乗っただけ
私と無関係と心底思える人が教育者だ
そんな人がいる場所には主従関係も奴隷関係もできない
似た者同士で群れることもない、セクトもできない
時間と空間を越えて、個と個の関係だけができていく

ふと、こんな詩を思い出しながら、
高校時代のたこ焼き屋さんをまた、思い出していた。

ヤンキーのたまり場だった、
駅前の小さなたこ焼き屋さん。
スナックを改装することなく、
たこ焼きを焼き、駄菓子を売っていた。

地元高校生のたまり場となっていた。

僕は部活がなくて、早く帰れるときに、
その店に行っていた。

おばちゃんは元スナックのママだったから、(推定)
話を聞くのがすごく上手だった。
よく、学校であったことやテストのことなんかを、
話している高校生がいた。

僕はヤンキーたちがいる時間にはビビって行けなかったけど、
きっと、ヤンキーたちは話を聞いて欲しくて、
このお店に行ったんだ。

自分が思っていること。
うまくいかないなと感じていること。
将来への不安。

そんなのをひっくるめて、
あのおばちゃんが受け止めていたのだろう。

そのおばちゃんが感謝され、「恩師」になることはない。
単なるたこ焼き屋のおばちゃんなのだから。

そういう、「恩師」とは、呼ばれないような、
単なるおばちゃん、おっさんの存在が必要なのだ。

僕がたこ焼き屋のおばちゃんを思い出すように、
10年後に、そういえば、
変なおっさんいたなあ。
と振り返るような、そんな存在が必要なんだ。

そんなひとりに私もなりたい。


そして、僕が行っていたたこ焼き屋さんのような場所が
まちに無数にあって、
中学生・高校生のたまり場となって、
そこで、新たなチャレンジの機会を平井雷太さんの言うように、
スッと提案できるような、そしてそれを自然にやっていけるような、

そんな、「新・教育者」のあふれる地域社会を創るんです。

「時間と空間を超えて、個と個の関係だけができていく。」

その連鎖が、未来を創っていくのだと僕は思う。

そういうひとりに私もなりたい


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