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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2010年06月23日

「評価」は「価値」なのか?

ふと大学を見渡したとき、
学内で誰も哲学(生き方)を語らなくなっていた。
(高知大学 池田啓実 「学びの意欲にスイッチオン」より)

必要な知識を正確に効率よく吸収すること。
役立つ情報がほしい、成果を出したい。

しかし。
その知識はなぜ必要なのか?
その情報を知ることで自分と社会のかかわり方はどう変わるのか?
この知識は、情報は世の中を幸せにできるのか?

そんな問い。

「虚妄の成果主義」(高橋伸夫 日経BP)に書いてある
成果主義は、世の中だけでなく、学校教育でも
スタンダードなものとなっている。

テストの点数だけでなく、
学習する意欲、発言を何回したのか?
などの総合評価で点数を決める。

いい評価をもらうためには、
評価する側の「いい子」である必要がある。

しかし。
その「評価」は本当に価値なのか?

そんな問いを大学1年生に問いかけるような授業が
高知大学の社会協働教育だ。

学校の成績は、
単なる情報処理能力を測る数値でしかない。
特に中学校までの成績は、それに、先生の主観が
多分に入ったものとなっている。

その「評価」にさらされることに慣れてきた、
いわゆる優等生たち。
しかもその評価はほんの一握りの大人、
親と教師の評価でしかない。

その評価を絶対の「価値」として認識していたら、
「生きるとは何か?」の問いは生まれない。

もちろん、他人からの評価なしに、
私たちは生きられないとは思う。
しかし、評価は価値のひとつでしかない。

自分は世の中にどんな価値を生みたいのか?
はたして自らが生むべき「価値」とはいったい何か?

そんな問いが生まれる機会を
誰かが提供しなければならないと思う。

その「問い」こそが、次の時代を創っていくはずだ。  


Posted by ニシダタクジ at 05:43Comments(1)起業家留学