2010年07月21日

「機会提供」という価値

「機会」を提供するということ。

カッコいい大人との出会いを
創出するということ。
あるいはたくさんの人が集まる
居場所を作るということ。

「機会提供」そのものに
価値はあると僕は思っている。

しかしながら。
教育的には、それは価値を持つのか?
といわれるとそうでもないように思う。

教育とは、意図した狙いのとおりに、
授業を展開し、その目的・目標が
達成されたかどうかで成果が測られるもの
だと思うからだ。

とすれば、
「機会提供」自体は、厳密に言えば
教育ではないように思う。

しかし、
意図しない「機会提供」。

これこそが、近代から現代までの日本において
失ったもの、そのものであるような気がする。

「地域の教育力」というのは、
まさに、意図しない「機会提供」の
ことではなかっただろうか。

効率、目標達成、成果。

そんな言葉の呪縛の中で失ってきた
大切なものが、駄菓子屋だったり、
神社の遊び場だったり、
そういう場所だったりするのだろう。

「機会提供」という価値をもう一度見直す時期に来ている。


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Posted by ニシダタクジ at 08:08│Comments(0)NPO
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