2009年07月22日

青い空という出発点~ナカムラノリカズ物語

とある大阪のまち。
光GENJIがデビューする少し前。
まちはローラースケートにあふれていた。
子どもたちはみな、ローラースケートを履いて
まちを走っていた。

中学生になって、
ローラースケートに靴が合わなくなった。
いつの間にか、しなくなっていった。

高校1年9月。
運命が待っていた。
昔よく遊んだ、町内会の兄ちゃんが、
見慣れないものを履いていた。

ローラーが4つ、タテについているもの。
ローラースケートよりもずっと速く
そしてカッコよかった。
それがインラインスケート(ローラーブレード)だった。

これだ!
と直感し、翌日にブーツを買いに行く。

速い。
そしてどこまでもいける。
家でゲームばかりしていた自分に
可能性が広がった気がした。

技も磨いた。
大阪万博の後の鶴見緑地。
そこで夕方から朝まで、
ひたすらスケートの練習。

ただすべるだけでなく、
エアー(飛ぶ)などの技を磨いたり。

来る日も来る日も練習し、
迎えた大阪でのストリートスケート全国大会。
参加50人中、1位。

やれば、できる。
それを実感した瞬間だった。

鶴見緑地には、
小学生から社会人まで、
3,40人の人が集まり、スケートの練習をしていた。
中村に憧れ、スケートを始める小学生がいた。

中村は5人組のチーム「エアーマックス」の
中心メンバーとして、多くのスケーターの憧れの対象となっていた。
そんなスケート界にも、
世代交代の波が容赦なく押し寄せる。
下の世代の台頭が始まる。

そして迎えた
代々木公園インラインスケート全国大会。
中村を慕ってスケートを始めた小学生も東京に駆けつけた。

予選通過。
しかし、中村は感じていた。
このままでは勝てない。

無難に技をこなしていたのでは勝てない。
一発逆転の大技で勝負するしかない。

90秒という限られた時間。
最後の最後に大技をもってきた。
MCが叫ぶ。
場内を大歓声が包んでいた。

意を決して、飛び込んだ。


失敗。


ヒザからガクッと落ちた。
こみ上げてくる感情。

中村は右手を上げて叫んでいた。
「もう1回やらせてくれ」

勝負はすでについていた。
規定時間は過ぎていたが、
高い壁に向かって、走り出した。

気がつくと、足からは血が出ていた。
さっき落ちた衝撃でスケートが曲がっていた。

でも、そんなの関係なかった。
飛ぶんだ。

中村は飛んだ。

MCが再び叫ぶ。
「バックフリップだ~~」

歓声が消えた。

中村は空を舞っていた。
高層ビル街の中に、
どこまでも青い空が広がっていた。

落下。

またしても失敗だった。

6位入賞。
結果として満足できるものではなかった。

しかし。
確かに出発点がそこにあった。

嫌いだった自分を、
「やればできる」と実感することで
だんだんと好きになっていった。
「やってはいけない」から
「やってみなくてはわからない」になった。

何よりも可能性を信じられるようになった。
人は必ず変われると信じるようになった。

今年もまた。
青い空の季節がやってくる。


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Posted by ニシダタクジ at 05:18│Comments(0)NPO
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