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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2009年01月20日

農というフィールド

農というフィールド。
その可能性に気づいたのは、
大学3年生の秋だった。

この日、僕は生まれて初めて、
「本当のサツマイモ掘り」を経験した。

幼稚園のときにやった、
サツマイモ掘りは、農業体験ではなかった。

「農」とは、種まき(苗植え)から収穫まで」を
通して、自然と関わるということ。
自然とつながっている。
野菜とつながっている。
昆虫や微生物とつながっていると体感すること。

こんなにも幸福感で包まれる経験があるだろうか。
これはみんな、死ぬまでに1度は経験したほうがいい。

このとき、本気でそう思った。

そしてもう一つ。
「農」というフィールドの可能性を感じさせる出会いがあった。

まきどき村のネーミングを考えているとき。
京都の半農半X研究所、塩見直紀さんから送られた1冊の本。

ポール・フライシュマン「種をまく人」(あすなろ書房)

舞台はアメリカ・クリーヴランド。
ゴミ捨て場となっていた空き地に
ひとりの少女がマメの種を蒔いた。
その隣に住むおばあちゃんがそれを見ていて、
拳銃か麻薬か何か悪いものを植えたのではないか、
と怪しがり、そこを掘ってみた。

出てきたのは3粒のマメの種。
おばあちゃんはあわてて、それを元に戻した。

その日からおばあちゃんは
マメが気になって仕方ない。
少女が水やりに来ない日は、
代わって水やりをやるようになった。

いつしか。
ゴミ捨て場のゴミはなくなり、
みな、思い思いの作物を育てるようになり、
畑に集まる人は家族のように仲良くなっていった。

とまあ、こんな話であるのだが。
この本は小説、架空の話である。

しかし、
23歳の僕に、「農」の持つ可能性を感じさせるに十分だった。
「農によるコミュニティの再構築」
これが僕のひとつのテーマになった。

10年の時を経て、いま、ふたたび。

世の中が「農」というフィールドを必要としている。

それは安心・安全な野菜を食べたい
ということだけではなく、

「農」を通じて、いろんな人との出会いがあり、
自然の中でのたくさんの発見をして、
ともに何かをつくり上げていくような経験。

それこそが今、
多くの人が必要としているのかもしれない。

「農」というフィールドは
新たなコミュニティの構築にとって、
自然なコミュニケーションを生んでいく、
魅力的な舞台である。  


Posted by ニシダタクジ at 07:44Comments(0)農の未来